国際平和協力リレー・メッセージ

国際平和協力リレー・メッセージ 第7回 伊東 香織さんimg

<写真>ボスニア・ヘルツェゴビナの投票所にて

 伊東市長は、1998年から2000年まで総理府(現:内閣府)国際平和協力本部事務局(通称:PKO事務局)で勤務され、在任中にはPKO法に基づいて「国際的な選挙監視活動」のために実施された、ボスニア・ヘルツェゴビナ国際平和協力業務に従事されました。伊東市長は「連絡調整要員」として、選挙監視要員のサポートに当たられたとのことですが、どのような業務を担当されていたのでしょうか。

 2000年、ボスニア・ヘルツェゴビナの全土で、145の市町村の議会選挙が大規模に行われました。当時はボスニア・ヘルツェゴビナが実際に国の形になってから5年ほど経ったところでした。ムスリム(ボスニア)系、セルビア系とクロアチア系と大きく3つの民族によって成り立っているうち、私が派遣されたのは、セルビア人地域(スルプスカ共和国)最大の都市であるバニャ・ルーカ市でした。

 全体の隊長は堀江良一さん(現:駐スーダン大使)がされておられましたが、セルビア人地域には選挙監視要員が5名、連絡調整要員が3名派遣されることになり、私はこの地域の責任者として、当時のOSCE(欧州安全保障・協力機構)やSFOR(安定化部隊)との連絡調整を行ったり、投票所に出向いて現地の治安の状況を確認するなど、日本の選挙監視要員が働いてもらいやすくすることが主な業務でした。

バニャ・ルーカ市の事務所における勤務の様子img

バニャ・ルーカ市の事務所における勤務の様子

 その2年前(1998年)に同じく選挙監視団を派遣した際には、セルビア人地域に我が国要員は派遣されておらず、今回がこの地域への初めての要員派遣だったように覚えています。当時はセルビア人地域というと治安が心配だとのイメージもありましたので、かなり気を遣いましたね。

プロフィール

伊東 香織さんimg

伊東 香織

岡山県 倉敷市長

 1966年生まれ。1990年東京大学法学部卒業、同年郵政省(現:総務省)入省。1993年ハーバード大学ロースクール(法律大学院)修士課程修了。1995年栃木県日光郵便局長などを経て、1998年から2000年まで総理府(現:内閣府)国際平和協力本部事務局参事官補佐を務める。
 その後、総務省インターネット戦略企画室長補佐などを経て、2003年から倉敷市に出向(総務局長、収入役)。2007年総務省国際部多国間経済室長に帰任、同年退官。
 2008年5月に倉敷市長に就任、現在2期目。
 趣味は、特産物の食べ歩き。その中で、地域の人たちとの触れ合いを楽しむ。

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 この選挙を通じ、日本の監視団は現地の方からも高い評価を得たと伺っていますが、伊東市長にとって印象に残ったエピソードなどはありますでしょうか。

OSCE関係者と協力体制を確認img

OSCE関係者と協力体制を確認

 派遣される前から思っていたのですが、このミッションは、セルビア人地域で行われるボスニア・ヘルツェゴビナの選挙なのに、外国から来た我々が、選挙が公正・中立に行われるかどうかを監視するわけですよね。ですので、私も選挙監視要員も、現地の人たちから大変嫌がられるのではないかと思っていました。
 それが実際に活動してみると、現地の皆さんから多くの感謝の言葉をいただきました。そして地域のお年寄りが私にこう言ってくれたんです。「自分たちは内戦で孤立し、他の国の人たちは自分たちのことを『あの国の人々は良くない人たちだ、関わらないでおこう』と、全く気にもかけられていないんじゃないか、世界から忘れ去られているんじゃないかと思っていた。ところがこうして、ヨーロッパからずいぶん遠いアジアの東の方の国から、肌の色も言葉も違う皆さんが私たちのことを心配して来てくれている。それで、自分たちは見放されていない、頑張ればまたみんなとやっていけるかもしれないと思える。それが私たちには嬉しいんですよ」と。ここに来て本当に良かったと思いました。一番の思い出です。

 PKO事務局においては、伊東市長は主に派遣要員の研修を担当されておられましたが、勤務を通じて緒方貞子さんの考えに大きな影響を受けられたそうですね。

 私自身も国際平和協力業務のために派遣されるということもあり、当時、日本の自衛隊での研修を初めとして幾つかの研修に参加させていただきました。その一つがUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)本部のジュネーブでの研修で、実際に国連の機関から紛争地域に派遣される方々と一緒に研修を受けました。
 当時は緒方貞子さん(現・国際協力機構(JICA)特別顧問)が国連難民高等弁務官をされていたのですが、その時に私は緒方さんから、自分のその後の仕事に向かう考え方について大きな影響を受けることになりました。緒方さんは小柄な方ですが、皆さんご存知のように大変なエネルギー溢れる方でいらっしゃって、その当時もコソボやアフリカなど世界中を飛び回っておられました。そこで私は、緒方さんに「どうしていつも率先してご自分が現場に行かれるのですか」とお尋ねしました。そうすると、こうお答えが返ってきました。「自分がUNHCRのトップとして、世界に対し、必要な人的協力、物資協力、資金援助をお願いするときに、報告書だけ読んでお願いするのと、自分が実際に現場に行って現地の状況をこの目で見て納得し、よく理解して国際社会にアピールするのとでは全然違う。自分は自信を持って国際社会に呼びかけをしたいのです」と。
 そこから10年ほどして私は倉敷市長になることになったのですが、その時の緒方貞子さんのお話は私の胸に深く刻まれていまして、今の私の市長としての政治姿勢の「現場主義」「対話重視」という大きな方針があるんですね。市の中でも課題があれば、もちろん職員さんが現場に行って報告をしてくれるのですが、私もなるべく現場で直接市民の皆さんからお話を伺い、それを踏まえて市としての方針を決めていくようにしています。国際協力と市役所の仕事とは分野も全然違うのですが、私にとっては人生の上で大きな出会いだったと思っています。

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 仕事に対する姿勢、ということですよね。他に、PKO事務局での勤務のご経験が、その後のご自身に影響を与えた点はありますか。

 昨年(2011年)の2月にニュージーランドのクライストチャーチ市で大地震があったのは記憶に新しいところですが、実は倉敷市とクライストチャーチ市とは、1973年に日本とニュージーランド国との間で初めて姉妹都市関係を結んだ間柄なのです。以来、毎年のようにお互いに青少年の親善使節などを派遣して交流を深めてきていました。
 地震当日は倉敷市議会開催中でしたので、すぐに地震の報告をし、議会とも相談をして、翌日にはクライストチャーチ市への救助隊派遣を決めました。本当は日本国からの緊急救助隊の一員として参加したかったのですが、当日は倉敷市は消防庁救助隊の派遣当番市ではなかったため参加できず、倉敷市独自に準備を整え、地震から3日後に、佐藤国際課長を隊長とし、中島、竹内の両消防職員から成る3名の救援隊を派遣しました。

倉敷市から救助隊員3名が出発 中央から左に、佐藤雅彦 国際課長、竹内久善 倉敷消防署消防士長、中島活也 玉島消防署北出張所主任img

倉敷市から救助隊員3名が出発
中央から左に、佐藤雅彦 国際課長、竹内久善 倉敷消防署消防士長、中島活也 玉島消防署北出張所主任。

 現地においては、学生ボランティアや市民と一緒になって、瓦礫撤去や、一般家庭や老人ホームでの土砂撤去作業などを行いました。また彼らには、私がボスニア・ヘルツェゴビナで担当した「連絡調整要員」と同じように、今、現地で何が必要なのかを調べてもらう任務を行ってもらいました。すると、現地では液状化により噴出した砂がその後の強風で粉塵となって舞い上がり、作業に支障をきたしているとのこと、しかも、現地に日本にあるような立体型になるマスクはなく、皆さん口にバンダナを巻いて作業をしていることでした。そこですぐに、倉敷市でインフルエンザ用に備蓄しておいた52,000枚のマスクを送ることにしました。また、家屋損壊により雨漏りがするため、ブルーシートが要りますという連絡が来て、同じく備蓄用の1,000枚のブルーシートなども送りました。
 「連絡調整要員」としての任務も兼ねた隊員たちは、現地において今、何が一番必要とされているかという情報をいち早く入手し、すぐに日本から私たちが必要物資を送り届ける。また、それらの状況を逐一倉敷市民の皆さんにお知らせすることにより、率先して市民による街頭での募金活動が始まり、また、数多くの団体からの義援金も倉敷市に寄せられました。そして、市民からの募金や義援金と倉敷市からの見舞金と併せて、クライストチャーチ市に日本円にして約2,000万円を送りました。また物資輸送の面でも、倉敷市には日本有数の水島コンビナート地帯に水島港があるので輸送能力も高く、輸送会社の方が輸送代はうちの会社が支援しますとも言って下さいまして、物資も迅速に現地に到着させることができました。

救援物資の寄贈img

救援物資の寄贈

瓦礫撤去作業を行う隊員img

瓦礫撤去作業を行う隊員

 まさにPKO法に基づく人的協力と物資協力の市役所版ですね。現場からの反応はいかがでしたか。

 今考えてみると、まさにPKO事務局で行ってきた隊員や連絡調整要員の派遣と物資協力のように、人的・物的・資金的な面が揃った活動でした。PKO事務局での仕事が、立場は違いますが、地方からの国際協力に役に立ったと感じています。
 また、派遣した隊員は背中に英語で「KURASHIKI」と入った制服で活動していたのですが、クライストチャーチ市民は、倉敷市から地震発生直後に来てくれたことにとても驚き、かつ喜んでくれていたそうです。また、これはこちらが驚いたことなんですが、倉敷市が姉妹都市だとほとんどのクライストチャーチ市民が知っていたことには嬉しくなりました。倉敷市からの救援隊は、現地の学生や両市の友好都市委員会の人たちと一緒になって活動しましたが、本当の意味での「困ったときの友は、本当の友だ」と感謝されたそうです。

 また、PKO事務局でのご経験が、倉敷市の台風災害の時にも活きたそうですね。

 私が倉敷市役所に赴任して、これは市長に就任する前の話ですが、2004年に非常に大きな台風が来襲しまして、倉敷市内でも沿岸部が高潮により約5,000世帯も床上・床下浸水しました。浸水被害で大量の家具や畳などを撤去しなければならなくなったわけですが、市民も、市職員も、業者の人たちも、一生懸命に片付けているのになかなか進みません。また、夏の終わりでしたから衛生状態も悪くなっていて、まさにUNHCRが救援活動を行う難民キャンプのような状況に近づいてきていました。その時私は、これは自衛隊の災害派遣で応援してもらえるのではと思いつきました。岡山県内ではこれまで災害派遣で自衛隊を要請した経験はなかったのですが、私はPKO事務局での勤務を通じて、自衛隊のこうした活動について知っていましたので、自衛隊の派遣要請をすぐに県を通じてお願いすることにしました。
 次の日には自衛隊が来て下さり、瓦礫撤去や防疫活動をしていただき、大変大きな力となって下さいました。PKO事務局で、防衛庁・自衛隊の皆さんと仕事をした経験は、今の仕事とは全く違っていますが、役に立っていることは多いと思います。

 倉敷市長として、現在、そして今後の我が国の国際貢献の在り方について、どう考えられていますか。また、これから国際貢献の分野で活躍することを目指す若者や学生に対して、メッセージをお願いします。

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 私は、国際貢献に関しては、国での仕事と、市長として地方都市の立場から関わることになりました。立場は違うのですが、共通点は、どちらの立場からでもそれぞれの行動は「国際平和、国際協力」に繋がっているということだと思います。今年、倉敷市からクライストチャーチ市への支援に対し、在日本国ニュージーランド大使のケネディさんがわざわざ倉敷市までお礼にこられ、ニュージーランドのキー首相からの感謝状が倉敷市民に贈られました。また、後日談で伺いましたが、ニュージーランド国が大規模な救援隊を海外に派遣したのは、東日本大震災が初めてであり、その大きなきっかけは、クライストチャーチ大地震にあたっての日本国と倉敷市からの救援活動だったとのことでした。
 人間や国は、ひとりや一国だけで生きているわけではありません。国際協力、経済協力、平和維持活動など様々な活動を通じ、日本という国も国際社会の中で生きている。つまり、世界が繋がっているからこそ、それぞれの国や人々の生活は成り立っているのだと感じます。一人ひとりには、それぞれ自分の立場で出来ることがあると思います。日本国、そして、世界が成り立つための大きな一翼を若い人たちに担って頂ければと思っています。

倉敷市は、国際的な観光都市でもあります(倉敷観光WEB別ウインドウで開きます)。最後に、倉敷市の魅力について教えていただけますでしょうか。

 倉敷市は、その収蔵品で世界的にも有名な大原美術館や、江戸時代から残る白壁の町並みの伝統的美観地区をはじめとして、各地に魅力があふれています。瀬戸大橋は、倉敷市児島(こじま)地区と四国の坂出市との間に架かっており、その児島地区は日本のジーンズの発祥地であり、最近ではこだわりのブランドショップが並ぶ「ジーンズストリート」もできています。児島のジーンズは世界のファッション業界でも高品質で有名なんですよ。また、日本の有数の規模を誇る水島コンビナート、農業が盛んで白桃や、ピオーネやマスカット・オブ・アレキサンドリアなどのぶどうの産地でも有名な玉島地区、真備・船穂地区など、倉敷市は色々な魅力のある街です。是非とも皆さんにお越しいただきたいと思います!

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2012年8月24日、倉敷市役所にて
聞き手: 早瀬 真道、湧川 いづみ(国際平和協力研究員)
資料等提供: 倉敷市

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